学校教育では育んで来れなかった問題発見力
前回のコラムでは“企業で向き合う問題”と“学業で向き合ってきた問題”の違いについて解説を行いました。また進路を考えるような場面は能動的に問題を設定(発見)し、その解決に向けた行動ができる絶好の機会ですが、この時にどれほど問題設定力(発見力)を養うような教育ができているかというと、各環境に依存せざるを得ない状況であったと解説を行いました。
今回のコラムではそれらを解決すべく学校教育において、どのような取組みが近年実施され、その結果はどのようなものかについて解説を行います。
ゆとり教育については聞かれたことがあるかと思います。そのゆとり教育の目的や実施した内容、結果についてはご存知でしょうか。
ゆとり教育の目的の一つとして、知識の暗記を重視した“詰め込み教育”では今後の国際社会において立ちいかなくなってしまうことが懸念され、思考力を身に付けることを重視した経験重視型や過程重視型の教育方針が形成されるようになりました。そして、その思考力を高めるために“総合的な学習の時間”が設けられ、実験、観察、研究、発表、討議などを教育の中に多く盛り込まれるようになり、受け身の学習から能動的な学習、発信型の学習への転換が図られました。
つまり知識の習得からその知識を活かし、自らが課題を発見し、その解決に向けて探求し、結果や成果を表現するために必要な思考力・判断力・表現力や主体性をもって多様な人々と協働する態度を体得することが教育の方針となりました。
上記の内容を体得している学生は企業にとっても非常に魅力的な人材となるでしょう。つまり総合的な学習により思考力を高め国際社会に通用する人材を育成していくといった目的は、企業にとっても望まれるものでした。
しかし、“ゆとり教育”と聞くと、“ゆとり世代”などが連想され、一般的にはあまり良い印象を受けないのはなぜでしょうか?
それは、1970年代までに学習量が過剰に増大していたこと対し、子供達の“心にゆとり”を持たせることが必要であると考えられ、総授業時数の削減が段階的に実施されました。そして、その総授業時数の削減に伴い、一部削減した時間を思考力を身に付けさせるための総合的な学習の時間に割り振るようになりました。
ただ、この総合的な学習の時間の活かし方が各学校や教員、そして生徒の力量に左右されました。また総授業時数の削減により生まれた家庭での時間の活かし方が各家庭等の環境に左右されこととなりました。
結局、このゆとり教育の評価が国際学力テストにより評価され、その評価した時に順位を落としたこともあり、学力低下と結論付けられました。当初は心の余裕をきっかけにあらゆる力を身に付けることが目的だったのが、結果的には単に時間的な余裕が生まれたことや学力が低下したことだけがクローズアップされ、“ゆとり教育”のイメージが形作られたことが良い印象を受けない原因なのでしょう。
しかし、そもそもの目的としていた思考力・判断力・表現力や主体性などを計る評価基準も明確にされていない中での結論付けではあるので、そのような評価があれば、ゆとり教育はデメリットもあったがメリットも十分あったと公平な評価が実施されていた筈です。また本来の目的を十分に果たせなかった原因は、本来の目的を見失ってしまったり、施策にズレが生じたり、現場任せになっていることにもあると感じます。
現在は“脱ゆとり教育”など更なる教育改革が進行中で、今後の教育改革を基に、優秀な人材の輩出を期待したいと思います。しかし現在、義務教育を受ける世代が社会に輩出されるには少なくとも5年、10年はかかるでしょう。教育改革が遅れれば20年はかかるかもしれません。
よって今回の記載のような教育や訓練を受けていないことを前提に、企業では育成プログラムを立案することが必要なのでしょう。それを個々人の能力や管理者の指導力に委ねてしまうこと自体に無理があるのだと感じます。
< 2017年5月 代表取締役 内山 三朗 記 >
上記コラムに関連する研修<研修パンフレット>
研修名:問題発見力(気づきの感度)向上研修<改善活動成功のカギ>
研修名:問題発見力(気づき力)の高め方研修<管理者の関わりが大きく影響>